南海電鉄 和歌山港線終点が水軒時代 想い出の鉄道シーン251

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  • Опубликовано: 11 сен 2024
  • 南海電鉄和歌山港線の終点が水軒時代の動画です。当時は、和歌山市と和歌山港の間にも駅があり普通列車が1521系で運転されていました。

Комментарии • 41

  • @rhscm989
    @rhscm989 3 года назад +3

    【お知らせ】
    久保町・築地橋・築港町・水軒の4駅は終日駅員無配置駅です。乗車駅証明書発行機ならびに集札箱もありません。
    お手数ですがご乗車の際、後尾車両にいる車掌までお申し出下さい。車内補充券を発行します。
    有人駅からご乗車されたお客様は、お降りの際乗車券を乗務員にお渡しください。

  • @user-li3bl8el2u
    @user-li3bl8el2u 4 года назад +3

    1521系の吊り掛け駆動の音を聴くと天王寺支線を思い出す(天王寺支線で使われてた車輛だし)、この車両に何度も乗って天王寺へ行っていたなぁと昨日のことのように思い出します。
    48年間生まれてからずっと天下茶屋に住んでいるので、本当にこの動画を残してくださりありがとうございます、ホークスグリーンと旧社章が最高です。

  • @pururu12
    @pururu12 5 лет назад +4

    和歌山市に住んで42年以上になるけど、この水軒線に一度も乗らず仕舞いでした、なんか惜しい事した気がします。

    • @rvdrv
      @rvdrv  5 лет назад +1

      コメントありがとうございます。この路線に乗る人は地元でもほとんどいなかったとの話ですね。地元の方でも本数が少なすぎての乗るのが難しかったとか。

  • @junpantourers
    @junpantourers 8 лет назад +5

    4:40~あたりは、フェンスの向こう側が花王で、よく配送に行きます。初めて行った時は、すでに電車は走っていなかったんですが、明らかにそれとわかる軌道敷の跡を見て、「お、こっちまで伸びてた時代もあったのね?」と感慨にふけったものです。今は、花王への入場口のアプローチがありますね。

    • @rvdrv
      @rvdrv  8 лет назад

      コメントありがとうございます。今でも痕跡は残っているのですね。洗濯でアタックを使うときに1521系のシーンが浮かぶようになりました。

  • @rhscm989
    @rhscm989 8 лет назад +5

    冷房装置がなく、換気自体もファンデリア(直径40㎝の換気扇のようなやつ)でもなく7:00でチラリと映る扇風機で行っていた(ビニールカバーで覆っているのでそれとわかる)。これまたいい雰囲気を醸し出している。

    • @osoziosozi
      @osoziosozi 7 лет назад

      rhscm989 使っていない扇風機はカバーかけるなんてきめ細かい配慮ですよね。

  • @gingaexpress6539
    @gingaexpress6539 5 лет назад +3

    1521系、一枚扉に吊り掛け駆動の音…。昭和の匂いがプンプンする車両ですね。私は阪急沿線ですが、懐かしさを感じます。

    • @rvdrv
      @rvdrv  5 лет назад +1

      コメントありがとうございます。阪急の1枚扉吊り掛車と言えば710系・810系や1200系1600系とこでしょうか?私は810系や1200系に子供頃よく乗りました。

    • @gingaexpress6539
      @gingaexpress6539 5 лет назад

      私は千里線沿線ですので、1300系でしたね。閉扉時の「ゴロゴロ」という音や吊り掛けモーターの音が忘れられませんね。

    • @rvdrv
      @rvdrv  5 лет назад +1

      片開きドアの「ゴロゴロ」懐かしいな。「ゴロゴロ」「ドン」「チンチン」

    • @rhscm989
      @rhscm989 3 года назад

      この1枚下降窓、一目見れば現在の7100系以降の通勤車両で採用されたフリーストップのフレームレス下降窓と同じ構造かと思われがちですが、実際の構造はそうではありません。
      正しくは内部に手をひっかける窪みが1枚あたり窓上部に2ヶ所あり、それを少し強く手前に引くと下降する仕組みでした(21000系と同じ構造のアルミサッシを採用)ので、フリーストップでもない上にやや開けづらい構造でした。

  • @user-ty5ql3jo5v
    @user-ty5ql3jo5v 2 года назад +2

    水軒 海水浴場思い出しました

  • @McMTsc157
    @McMTsc157 8 лет назад +6

    ここに写っている1521系は天王寺支線で廃線まで使っていたやつですな(番号が少し見えたので)。

    • @rvdrv
      @rvdrv  8 лет назад

      コメントありがとうございます。そうだったのですか。天王寺支線の車両は子供の頃よく天王寺駅で眺めていましたが、廃線前に撮影する事はできませんでした。

    • @euforia_21
      @euforia_21 6 лет назад +3

      +RVDRV 1522と1524ですね。

  • @taktetuneko6505
    @taktetuneko6505 8 лет назад +7

    懐しいですね。南海といえばこの緑でしょう。今のは安っぽく見えます…

    • @rvdrv
      @rvdrv  8 лет назад

      +tak tetuneko
      コメントありがとうございます。私も同じ意見です。関西の電車らしく落ち着いた塗装だったと思います。

    • @Chu2007pae
      @Chu2007pae 7 лет назад

      ほんとにそうですね。昔の何かいグリーンが懐かしい。ところで、水軒、和歌山港間で『鉄』以外の客が乗っているのを見たことがないのですが、この時はまだ一般乗客がいたのですね。それが驚きです。

    • @w.bavasi8958
      @w.bavasi8958 5 лет назад +1

      典型的な懐古厨

  • @railexp2872
    @railexp2872 8 лет назад +4

    南海ツートングリーンの旧塗装・・・格好良いですねぇ・・・。また7000系引退前のリバイバルカラーのように現役車両のいくつかをリバイバルカラーにして欲しいです。

    • @rvdrv
      @rvdrv  8 лет назад +1

      +Express Takyanagi
      コメントありがとうございます。サザンも含め旧塗装の方が格好良いし落ち着いていますね。一編成旧塗装があったら楽しいかも。

  • @user-vo2pf3lx1y
    @user-vo2pf3lx1y 5 лет назад +8

    水軒はもったいなかったな。

  • @candycandy2495
    @candycandy2495 5 лет назад

    阪急箕面線沿線に住んでました。
    桜井に幼稚園の頃住んでましたが大阪万博前後にあたるその頃は、梅田直通の準急でさえ容赦なく、810系とか920系電車とか辺りの、吊り掛け駆動が来ていました最も550型電車言う更にボロい言うか15mの小型の電車が線内専用で、幼稚園の年少組か年中組なのに、
    可愛い~生意気にも言ってた(笑)その頃桜井にいた祖父母既になく箕面線直通自体なくなり残念です

    • @rvdrv
      @rvdrv  5 лет назад

      コメントありがとうございます。私は阪急今津線で810系や920系によく乗りました。箕面線直通と言えばみどり色の丸い看板の準急だったかな。

  • @Chu2007pae
    @Chu2007pae 7 лет назад +1

    この線って、南海線で最も終電の早い線だったのでしょうか?

    • @rvdrv
      @rvdrv  7 лет назад +2

      コメントありがとうございます。確か、末端区間は1日2本の運転で16時ぐらい?が最終だったと思います。線路が立派(高規格)だったと記憶しています。

  • @user-fr6qt3hu5q
    @user-fr6qt3hu5q 5 лет назад +1

    英字なしのサザンの幕。この時代はまだ南海フェリーも元気だった。明石海峡大橋がなければ···と思ってしまう

    • @rvdrv
      @rvdrv  5 лет назад

      コメ返し遅れて申し訳ないです。私は小松島港線があった頃に南海フェリーに乗った覚えがあります。フェリーの旅も良いものですね。

    • @user-vo2pf3lx1y
      @user-vo2pf3lx1y 5 лет назад

      @@rvdrv 南海フェリーは今はもう徳島港ですからね。

    • @rhscm989
      @rhscm989 3 года назад

      関空開港を直接恩恵に受けない「サザン」においても例外なく、1994年5月頃から南海線の既存車両と併せて英文入り方向幕への一斉更新が実施され、さらに2000年10月頃からは高野線の既存車両にも英文入り方向幕への一斉更新が波及しました。

  • @sundeko3701
    @sundeko3701 4 года назад

    ひなびた、どこか気だるさも感じる港湾地帯を走り抜ける和歌山港線。90年代の車内は当然ながらスマホに注視するわけなく、流れゆく車窓をぼんやり眺めていたり、雑談にふけっていたり。

    • @rvdrv
      @rvdrv  4 года назад

      コメントありがとうございます。スマホが無い時代は、純粋に鉄道での旅を楽しめていたのかも知れませんね。

  • @anago34
    @anago34 4 года назад

    サザンの8両編成はどう考えても過剰だよなあ
    和歌山市で指定か自由のどっちか半分切り離す、というわけにも簡単には出来なかったんだろうけど

    • @rhscm989
      @rhscm989 3 года назад

      全列車が一部座席指定に統一された現在でも、特に通勤通学客が密集する難波~和歌山市間には、4扉ロングシート車両を用いる自由席側に乗客が集中します。

  • @karakasa1
    @karakasa1 5 лет назад +2

    単コロ一両でいいのになんでわざわざ2台繋げてたのだろう(^^;

    • @rhscm989
      @rhscm989 3 года назад +1

      もっとも、和歌山港線普通は1984年11月半ばまで原則的に単行運転でしたが、天王寺線の一部区間(天下茶屋~今池町間)が廃止されたあおりを受けて一連のトレードが行われたことにより先頭車が不足する事態となったため、それ以降は2連化されました(1989年11月半ばからは高師浜線も)。
      同じ和歌山ローカルである加太線。一応1521系での運転こそ可能だったものの、実際には年がら年中冷房車の7100系2連車が優先的に充当されたこともあります(言い換えれば、必ずしも海水浴シーズンの応援出張を兼ねて夏季に冷房サービスをするために入線しただけだったとは限らなかった)。

    • @karakasa1
      @karakasa1 3 года назад

      @@rhscm989 ありがとうございました。そう言えば天王寺支線の件がありましたね。あそこは確かに一両編成でないと検いろいろ不都合ありそうですから

    • @rhscm989
      @rhscm989 3 года назад

      @@karakasa1
      部分廃止(孤立)までは原則的に2連2本での運用でしたが、孤立後は単行運転に変更されるとともに1524と1526の2本を閉じ込めて四六時中車両交換のないピストン運用としました(1本使用、もう1本は予備)。